イリュージョンなしには生きられない

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織田信長は、桶狭間の戦いの出陣前、
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
と「敦盛」の一節を謡い舞ったとされている。 

人の生涯(50年)は、下天の基準では1日にしかあたらない。
時の観点から、人生は夢幻にすぎないと説いた名文句。

おととし亡くなった動物行動学者、日高敏隆氏は「動物の人間の世界認識」で、
人間も人間以外の動物も、イリュージョンによってしか世界を認知し構築し得ない。そして何らかの世界を認知し得ない限り、生きていくことはできない。
すべての生物は、知覚の枠内においてしか世界を認識できないと指摘。

認識できたものを積み上げて、それが世界のすべてだと思ってる。
私たちの心に映るこの世のすべては、夢幻にすぎないということか。

じゃあ、そんな夢幻の中で、経済・経営・投資の分析をして何の意味がある?
認識できる情報の範囲内で、過去・現在を分析し、未来を予想しても…。
実際に未来を大きく動かすのは、知覚の枠外にあった出来事だったりする。
分析や予想はすべて願望…、イリュージョンにすぎないのだろう。

そう分かっていても、心に未来を描いてみたいと思う。
こうあって欲しいと願い、未来に淡い期待抱くとき、前を向くことができるから。

イリュージョンはある意味、希望なのかもしれない。

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