トマトの履歴書/橘みのり「トマトが野菜になった日」

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世界のトマト摂取量

私はトマトが大好きで、毎日の晩ご飯の締めはトマトが定番。
概算してみると年間45kg程度食べているようだ。

カゴメのウェブサイトによると日本人の平均摂取量は年間10kg。
私はスペイン人と同じくらいで、イタリアは意外と少なく27kg。

ヨーロッパ諸国でのトマトの名称を知ると、

  • 黄金のりんご(イタリア)…pomodoro(pomo=りんご、d’oro=黄金の)
  • 愛のりんご(イギリス・フランス)…”love apple”、”pomme d’amour”

キリスト教世界で「りんご」といえば「アダムとイブ」だから、
トマトがいかに特別な存在の食べ物だったがよく分かる。

しかし現在ではトマトが最も食べられている地域は、
トルコ(99kg)、エジプト(90kg)、アルメニア(88kg)と、
イスラム教の国で摂取量が突出して多いのが意外だった。

世界のトマト生産量

世界で最も多く生産されている作物はトウモロコシ。
以下生産量が多い順に並べるとトマトは第6位になる。
※括弧内の単位は万トン(FAO・2016年)

  1. とうもろこし(106,011)
  2. 小麦(74,946)
  3. 米(74,096)
  4. じゃがいも(37,683)
  5. 大豆(33,489)
  6. トマト(17,704)

5位までが主食となる作物であることを考えると、
トマトの生産量がかなり多いことがよく分かる。

トマトの主な生産国についてFAO(国連食糧農業機関)によると、
なんと世界の生産量の約3割が中国で、生産量の伸びがすさまじい。

栽培種発祥の地とされるメキシコはかろうじてTOP10にランクイン。

ついでなので、橘みのり「トマトが野菜になった日」の記述を元に、
トマトが日本に伝わるまでの来歴をまとめておこう。

トマトが日本に伝わるまで

今ではパスタやピザでイタリア料理に欠かせないトマト。
でもイタリア人とトマトの出会いは以外と遅く16世紀半ば。

1519年にスペイン人コルテスがアステカ王国を侵略。
その後のメキシコ・スペイン間の貿易を通じて、
トマトが当時スペイン領だったナポリへ渡来したようだ。

真っ赤で不気味だから、当初は観賞用だったが、
16世紀のイタリアはたびたび飢饉に襲われ、
しかたなく食べてみたら、これは美味しい!となったらしい。
※トマトソースパスタが文献に現れるのは1839年。

日本にトマトがやってきたのは江戸時代。
狩野探幽が日本で最古のトマト絵を残している(1686年)。
ただ観賞用のままで食用になったのは明治になってから。

でも日本人は生でトマトを食べるのが苦手で、
そこで1903年日本で初めてトマトソースが製造される。
そしてこれを作った蟹江一太郎がカゴメの創始者なのだ。

トマトは果物?野菜?

オマケで稲垣栄洋「世界史を大きく動かした植物」に記された、
トマトは果物なのか?野菜なのか?という話題が面白い。

英語圏の果物と野菜の境界は、

  • 植物の果実を「果物」
  • 果実以外の部位を食べるものを「野菜」

なのでトマトは果物に分類されることになる。

日本語では「果物」は「木の物」という言葉に由来し、
日本では果物は木になるものだから、トマトは果物に該当しない。

そんな分類は正直どうでもいい話だが、
19世紀のアメリカでは野菜に関税がかけられていたため、
輸入業者がトマトは語源的には果物だ、と裁判沙汰になったのだとか。

「植物学者たちは果物であると主張し、裁判は上告されて連邦最高裁判所にまで持ち込まれたが、連邦最高裁判所では、「トマトはデザートではない」ということから、野菜であるという判決が出たという。つまり植物学的には果物だが、法律的には野菜だと判断されたのである。」

悪魔の実として恐れられたり、果物か野菜かで裁判になったり、
笑えるエピソードが満載なのもトマトの特徴だね。

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