今を信じることの大切さ/僧璨大師「信心銘」

この記事は約2分で読めます。

中国禅の系譜は「達磨大師→慧可大師→僧璨大師」と流れる。
僧璨大師が残した、心を信じることを説いた銘文「信心銘」。

戦前の禅の研究者、鈴木大拙が、

堂々たる哲学詩であり、禅旨の大要はこれで尽きている

と評したという146句、584字から成る漢詩。

目に止まった部分を書き留めておきたい。

一切二邊 妄自斟酌 夢幻空華 何労把捉

この世界を二元論的な解釈を持ち込むなんて自分勝手。
そんなものは夢・幻であって、捉えようと苦労するだけムダ。

得失是非 一時放却 眼若不睡 諸夢自除

損得勘定や善悪の判定など投げ捨ててしまえ。
その眼で本質と向き合えば、愚かな夢から覚めるだろう。

宗非促延 一念萬年 無在不在 十方目前

時間の長短はどうでもいい。今この時が永遠に通ずる。
今、目の前にしている世界がすべてなのだ。

有即是無 無即是有 若不如是 必不須守

ないと思えばすべてがあり、あると見ればすべてがない。
もしこのことが分からないのなら、 ある・なしにこだわるな。

信心不二 不二信心 言語道断 非去来今

主体である「信じる心」と客体である「信じられる心」は同じもの。
心の根源に言葉は及ばず、現在・過去・未来の問題でもない。

おそらく最後の一節が禅の真髄なのだろうが、よく分からない。
たとえば世界を善悪に切り分けるような心は「妄心」であり、
ありのままの今を受けいれる「真心」が大切、ってことなのかな。

コメント

  1. 時計コピー より:

    そうではなく「欲望と怒りと迷いのない心」、さながら心のOSが組み替われば、行いすべてが”勝手に道徳的になってしまう”と説く仏道式考えは明快にして真理。