足利義政、月へ逃避した美学の英雄

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京都東山の慈照寺(銀閣寺)を造営した室町幕府8代将軍、足利義政

義政を中心に展開した東山文化は、日本文化史において最も重要。

でも、義政を学びたくても、書かれた本はとても少ない悲しさ。。。

応仁の乱を招いた権力者としての無能さから、嫌われているのだろうか。

ドナルド・キーンは著作「足利義政と銀閣寺」の結びでこう語る。

日本史上、義政以上に日本の美意識の形成に大きな影響を与えた人物はいないとまで結論づけたい誘惑に駆られる。・・・史上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。

たとえば義政が造った、慈照寺東求堂の一室「同仁斎」は、

その四畳半のたたずまいから、茶室の原型となったことはもちろん、

近代の和風住宅のモデルになったといっても過言ではない。

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個人的には銀閣寺の東山、って場所が好き。

古代中国では北極星が天帝とされ、北の方角が権力の象徴。

平城京や平安京では、北側に天皇の御所が造られて、

義満は北山に金閣寺を建立し、家康の祀られた日光東照宮は江戸の真北。

京都の東…、権力をふるうことを放棄した義政らしい立ち位置だ。

そして月を愛した義政は、こんな和歌を残している。

 くやしくぞ 過ぎしうき世を 今日ぞ思ふ 心くまなき 月をながめて

 板間もる 月こそ夜の 主なれ 荒れにしままの 露のふるさと

自らの無力感を胸に、月の出を追いかけて東に向かったのだろうか。

そうそう、銀閣寺は月見のための館とも言われている。

義政の月への逃避が、日本文化の花を開かせることになったのだ。。。


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