名刺を偏愛する日本の心

この記事は約2分で読めます。

名刺交換の儀式になじめない。

最近はカタカナの肩書きも多く、何の仕事をしてる人か分からないし、

後でその人のことを詳しく知りたくなっても、何の情報も載ってない。

私にとっては、会社の社長以外の名刺は、ただの厚紙にしか見えない。

就職氷河期の恩恵で、どこかに所属していたい、って意識がないせいか、

それとも単に群れるのが大嫌いなとこからきてるのか、原因は分からない。

ただ、日本人が大切にしてきた何かが、私に抜け落ちているのはたしか。

名刺を大切にする日本の心をさかのぼると、戦国~江戸時代にたどり着く。

まずは武家の「家紋」。

武士にとって家系の歴史と誇りの血縁意識を表すものであり、

その家来にとっては仕える家への忠誠心と一体感を表すものだった。

そして商家の「のれん」。

商人や職人にとって所属する家の技術や伝統の誇りを表すものだった。

その人自身を見て判断するのではなく、紋章の背景から判断する。

一番わかりやすい例をあげると、もうすぐ最終回の「水戸黄門」。

「この紋所が目に入らぬか!」と印籠の紋章に悪役がひれ伏す。

印籠がなければ、黄門様もただのおじいちゃん扱いなのだ。

紋章重視がやがて会社の名刺や社章の偏愛につながったようだ。

でも最近は、優良企業が一夜明けると、ブラック企業に変わったりする。

組織の肩書きに自分を同化するのは、いいことばかりではないだろう。

初対面から特定のイメージを植え付けてしまうより、

何もないことで、誰とでもコラボできる雰囲気を出した方が楽しいかも。

まぁ、私はこっちの道を選ぶしかないのだけど(笑)

渡されるから自分もちゃんと名刺を作らなきゃ、と悩んで現在相談中。
 
名刺のデザイン依頼しててね。先週、問診みたいなのもしてもらったんだ。

年明けにはできる予定。どんな感じにできあがるか楽しみ♪

コメント