シイタケだしの歴史/道元「典座教訓」

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典座教訓食禅(じきぜん)」なるイベントに招待され、

講師が曹洞宗の禅僧ならば予習にこれを再読だ!

鎌倉時代に曹洞宗の祖、道元が書いた「典座教訓」。

典座(てんぞ)とは、禅寺の料理係の役職のこと。

読んでいたら「シイタケだし」の話に気がついた。

文献に初めて登場したダシの記述という説もあるようだ。

1223年、24歳の道元が中国へ渡った時のこと。

上陸の許可がおりず、港で待機していると、

寧波府の阿育王山の典座だという老僧が訪ねてくる。

明日は五の日なれば、ひとたび供せんとするも、すべて好喫なるものなし。麺汁をつくらんと要むるも、未だ椹あらざるあり。よりと特々として来たり、椹を討め買い、十方の雲のうに供養せんとするなり。

明日は端午の節句だから修行僧にごちそうをと考えたが、

めぼしい食材が見つからず、麺料理をふるまうことにした。

だがスープを作るためのシイタケ(椹)が見つからない。

日本の船にならあると思い、こうしてやってきたのだ。

この後、この典座が約17kmも歩いてきたことを知り、

「ご老体でなぜこのようなことをしているのですか?」

と道元が尋ねると、

「若いの。おぬしは修行とは何か、まったく分かっておらんの。」

と典座は大笑いして去って行ったという話。

今でも精進料理のダシに干しシイタケが使われる。

大分県の名産だから昔は九州から輸出されていたのかも。

かつおと昆布のだしの歴史も調べてみたくなった♪

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